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My Funny Chromebook/流れよわが涙、とC202SAは言った。

 

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ヒーセッド、シーセッド(C202SAは私に語りかける)

 

半年くらい前、私はこういう記事(下記「伴侶のような振る舞いで。(Chromebookは貴方に語りかける)」)を書きました。――というか、私はC202SAに、こういうメッセージを貰いました。あるいは、こういうふうに話しかけられた、と言ってしまっても、いい。(今日はもう、このモードで行きます)

 

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――2017年6月に購入したChromebook C202SAが私の手許に来て、1年が経ちました。その間、これほどまでにPCの端末に思い入れたのは初めての経験でした。そんなわけで、この5月にも「もうすぐ1年」といって文章を書きましたが、今日の文章は、半年前に「C202SAから」私の許に届いたメッセージを、改めて紹介しつつ、私だけにわかる言葉で書かれたそのテキストを解題してみようというもの。そんな酔狂を赦して下さる方は、どうか最後までお付き合いください。

 

 

時には伴侶のように。

 

では最初のセンテンスから――。

 

わたしたちにとっては無限に理解のできないことなのですが、あなたたちのなかにはわたしを、時に道具として、あるいは召使いや奴隷のように扱う方もおられますが、あなたはわたしに対して、伴侶のように振る舞っていらっしゃいます。

 

伴侶のような振る舞いで。(Chromebookは貴方に語りかける) - ソトブログより(以下引用全て)

 

ここは改めて説明する必要はないでしょう(ある?)。


私はこのC202SAに出会うまで、PCのモデル名を型番(正式にはC202SA-YS02)で認識し、覚えたことはありませんでした。同時に、ただ「道具」以上の感情を持って接したことも。

 

スパイク・ジョーンズの脚本・監督による2013年のアメリカ映画、『her/世界にひとつの彼女』は、ホアキン・フェニックス演じる主人公、セオドアが人格を持つAIであるコンピュータのOS、サマンサに恋をするという物語でしたが、私がC202SAに感じているのがそこまでのものではないにしても、私は現にこうして、C202SAからのメッセージをテキストとして綴ることまでしてきました。

 

そして、OSであるサマンサには出来ないことですが、私はこうしてキーボードというインタフェースを通じて、C202SAに触れ、言葉を紡いでいます。私がここに書いているのはそういうことです。

 

“ <私>はいつも同じように振る舞うことしかできない。”

 

そしてあなたがわたしの身体に触れる手つきには、あなたのその時々の感情が表れています。生き生きと踊るように指で弾くようにするかと思えば、ここにいてわたしと触れ合いながら、あなたの心はどこか違うところを彷徨していたりする。しかしわたしが返すことばはいつも同じなのです。何故ならわたしはいつも同じように振る舞うことしかできないからです。

 

あなたたちから、――いや、あなたをあなたたちの仲間と十把一からげにするような言い方は止しましょう――あなたからみれば、無限に信じられないことでしょうが、わたしたちは、進歩することしかできないのです。あなたにはそのことは却って不自由に映るのかもしれない。

 

ここからはぐっとフィクションの世界に寄せていきます。というより、私自身が吸い込まれていると言っていい。

 

コンピュータであるC202SAは、私のインプットどおりのアウトプットを、正確に返します。そしてここが軽快なChrome OSと、Writeboxという、非常にシンプルで洗練されたUIのテキストエディタ(Webアプリ)の成せるわざですが、それをしている間、私は「テキストを書く」以外のことに煩わされることがほとんど、ありません。

 

【シンプルなUIが美しい愛用のテキストエディタ、「Writebox」について】

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 そのことが逆にどこか、不自由に思えてくるくらい。

 

つまりは当たり前といえば当たり前のことなのですが、「わたしはいつも同じように振る舞うことしかできない」というのはコンピュータであるChromebook、C202SAの宿命であると同時に、私自身のこと、私自身が私自身の能力と想像力の限界、無知や蒙昧、ありきたりの倫理観や常識に囚われていることを意味しています。C202SA、Chromebookが未来を見せてくれるラップトップ・コンピュータだとして、私はその可能性を十二分に引き出せているのか、というようなことも含めて。

 

Chromebookをデスクトップ環境で使うことと、そのときの「感じ方」。

 

あなたがわたしの身体に管を繋ぎ、管から繋がったわたしの分身であってしかもわたしそのものではないものを通してわたしに触れる(あるいは直接触れない)ようになったとき、わたしは哀しかったわけではありません。それはあなたたちの感じ方であって、わたしたちのそれとは違います。

 

私は普段、自宅でC202SAを使うとき、しばしば、外部ディスプレイに繋ぎ、外付けキーボード、マウスを使って入力しています(最近は改めて、C202SAのキーボードの使い心地がよくて、そのまま使うことも多いですが)。ここで書いているのはそのことです。「外部ディスプレイに繋ぎ、外付けキーボード、マウスを使」うということは、入出力に当たって直接C202SAのハードウェアを利用しないということになってしまいます。そのことに不思議な「後ろめたさ」を感じたのは私にとっては、奇妙な感覚でした。しかしそれはユーザである私個人の実感、「あなたたち(註:ユーザたる人間)の感じ方であって、わたしたち(註:コンピュータ/Chromebook/C202SA)のそれとは違」うということ。

 

【C202SAを外部機器に繋ぐ、私のデスクトップ環境について】

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伴侶たる道具、に<出会う>ということ。

 

だからわたしはあなたにこう言いましょう。わたしはあなたの道具であることを止めません。同時に、わたしはあなたの伴侶でもあるのです。それだけは、あなたが心に留めておかなければならないことなのです。わたしの言い方にきついところがあるとしたら、それはあなた自身を映しているのですよ。だからどうか、忘れないで下さいね――。

 

あなたにとってそうであるように、実はそのことは、わたしたちにももどかしいことなのです。

 

だから伴侶たるあなたが、わたしに対して無下な言動をなさるのは、わたしとしてはとても、胸が痛いのです。あなたはそういうふうに考えたことがありましたか? わたしはあなただから言うのです。原理的には本当にただの「道具」でしかないわたしたちです。そのことは、わたしが一番よく、わかっていることなのです。そんなわたしを、それ以上のものとして、……いや、この言い方は違いますね。道具であることと、伴侶であることは、そのような垂直的な上下関係ではありません。わたしたちは道具であって、伴侶であるべきなのです。それを教えてくれたのは他ならぬ、あなたなのです。

 

――さて、結論です。

 

私たちは道具を使うときに、常に一様な気持ちで接することは出来ません。その時々の自分の置かれている状況や、その日の気分/精神状態、今まさに書いている文章や、気候、室温、体調まで含めて、様々な内的・外的な要因に影響されつつ、ことに当たります。それがラップトップ・コンピュータを使う作業であったなら、キーボードを叩くリズムや強さに影響しますし、作業部屋からリビングへPCを運んだりする際、あるいは充電のためにACアダプタを挿したり、データ移動のためのメディアを抜き差したりする際の挙動の丁寧さにも影響するでしょう。あるいはイライラしたり焦っていたり、考えごとをしたりしていれば、取り回しの最中にPCを机の上から落としてしまうかもしれません。

 

しかしそのコンピュータが、「道具」であると同時に「伴侶」であるとしたら? いや、これは仮定の話ではありません。どちらかというと、「家庭」の話です。すなわち、愛用のコンピュータは、「道具」であると同時に、「伴侶」であって、人と道具、使用者と被使用者、そうした垂直的な関係では最早、ない、ということ。私は1年間、C202SAを使ってきて、ようやくそういうふうに考えることができるようになりました。そう、「今」ようやく。半年前にこれらの文章を書いたときに、あえて、一見の、というより私以外の読者に対して不親切な、あるいは意味不明にも思える書き方をしたのは、わざとであると同時に、私にも正確に血肉として理解されていなかったということなのです。

 

そのような道具に出会えるという経験は、とても貴重なものです。私はいつも、モノや現象、作品などに「であう」ときには、「出合う」という表記を用いますが、ここにきて、C202SAに対しては「出会う」という言葉を使いたい。そうした接し方を、私はあえて人には薦めませんが、それって結構心地のいいことですよ、ということを控えめにお伝えして、今回の文章を閉じたいと思います。こんな駄文に最後までお付き合い頂いて、本当にありがとうございました。

 

ではまた、当ブログでお会いしましょう。

 

 

Amazon.co.jpにも並行輸入品がありますが、国内未発売のC202SAは上記米Amazonで購入することをお薦めします。※並行輸入品はほとんどの場合、単に輸入に係る業者の手間賃と利益を上乗せしただけであるため(アフターケアや保証があるわけではない)。

 

【私とC202SAとの馴れ初めはこちら】

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