「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト
【「踊る回る鳥みたいに」これまでの連載(第1回~第10回)】
第1回“どんぐりのスポセン”
第2回“チューニング”
第3回“冷凍パインを砕く”
第4回“しおりさんのトリートメント”
第5回“もしも音楽に、苦痛が伴うとしたら”
第6回“透き通った最初の言葉を聞いて”
第7回 “好きになるまでは呼び捨てなのに(あるいは、エッセンシャルオイルから化粧水を作るレシピ)”
第8回 “ムーミン谷は閉店中”
第9回 “タイムリミット・サスペンス”
第10回 “おっちゃんのリズム”
八-2-2 笛と鳴き声
久しぶりの曇り空で、ちょっと涼しいくらいだった。
今の電車のように客席と運転席は仕切られてなくて、バスと同じで運転席の右後方に料金箱があった。
客席はベンチシートで、右側の最前列に前からカズちゃん、雅文くん、わたしと座ってフロントガラスから前方を見たら、かなり向こうで線路の上を歩いている人がいた。年配の女性のようだった。カズちゃんが、
「あーあそこ、歩いてる。
バカだなァ。線路の上。危ないのにね。
おーい、よけろー」といった。
「あー。歩いてるね」運転士が呟いた。わたしたちに話しかけているわけではないが、聞こえていることはわかっている、というようなひとりごとの趣き。
わたしと雅文くん「バカとかいったらダメでしょう」
雅文くん「でも危ないね」
女性にとっては生活道路の一部というか、日常の一部なのかもしれないとわたしは思った。
「だってバカだもん。おい! バカクソー。よけろー」
なおもカズちゃん、聞こえないことはわかっていて。危ないことは危ないという妹と雅文くんのしつけの賜物ではあるのだろうけど、「バカクソー」は聞きたくない。けれど、こういうときどういったらいいものか。一瞬目を離したら女性の姿は消えていた。
「あー避けた」とカズちゃんがいった。「あっちいったよ。危ねー危ねー」
こんなふうに五歳のカズちゃんが、いっぱしの少年というかお兄ちゃんみたいな口調でいうのは、頼もしいようでもあり寂しいようでもあり――でもそんなの、親ではなく伯母さんだから結局、他人ごとのように思えてしまうのか。
この路線は数百メートルごとに駅があってずっと徐行みたいなものだから事故になることはないのだろうが、運転士さんはいつもの風景というか、何でもないみたいだった。もし女性が気づかなかったら手前で停車して呼びかけていたんだろうか。
次の駅で一人乗って、その次の駅はスルーして、その次の駅で楽器を持った制服の高校生が団体で乗った。ほとんどが女の子だった。吹奏楽部だろうか。バスとかではなく、電車で行くのか。こんなに人のいるこの車輌に居合わせたのは初めてだった。カズちゃんが大人しくなった。畏まった様子になった。
いつもの場所、線路脇に看板で「笛」と書いてある場所で汽笛を鳴らした。カズちゃんが汽笛に合わせて、
「プォーー」
といった。いつもより小さな声だった。
もうひとつある駅はスルーして、カーブを曲がり終着駅であるJRの駅に隣接した、ホームをJRと共有する駅に着き、高校生たちはそこで降りた。わたしたちはそのまま五分待って折り返した。往路の料金は正しく払った。
わたしたちの乗った始発駅、というか路線上はこちらが終着駅なのかもしれないが――乗った駅に戻ってきたとき、雨が降り出した。電線の上のカラスが飛び立って、「ガァーー」と濁って鳴いたのでハシボソガラスだった、というのは、カズちゃんから訊いて雅文くんが仕入れたのか、雅文くんが知っていてカズちゃんに教えたのか、とにかくこの二人から訊いていてわたしはわかったのだ。
(つづく)
※「踊る回る鳥みたいに」第12回は2022.2.25(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。