「踊る回る鳥みたいに」作:津森 ソト
【これまでの連載(第1回~第3回)】
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第1回“どんぐりのスポセン”
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第2回“チューニング”
【連載小説】「踊る回る鳥みたいに」――第3回“冷凍パインを砕く”
四 しおりさんのトリートメント
それでハジメちゃんからお姉さんの話を聞いてボディトリートメントをやってもらうことにした。初めて会ったお姉さんははっきりした顔立ちの美人で、姿勢がよくて、人当たりもよくて、女性が憧れる女性だった――いや、他人のことはわからないから、わたしは一目惚れだった。
実家のわたしの部屋にお姉さんがトリートメント用のベッドや、道具一式を持って来てくれた。
「お姉さんはこっちでセラピストやられてるんですか?」
「東京でね、サロンに勤めてたんだけど。今はちょっとこちらでお休み中。侑子さんも最近帰って来たんだってね」
「〝さん〟なんていいですよ。お姉さんがお休み、ってなんか意外だな」
「じゃあ、侑子ちゃん。侑子ちゃん、わたしのようなことをやっているとね、自分の身体の状態に正直になるみたい。『あ、今はちょっと休んだ方がいいかもしれない――』って。そういうときは無理してもいいことなくて。わたしの経験だけなんだけどね。
それで、わたしもお願い。〝お姉さん〟じゃなくて〝しおり〟って呼んでね。本の〝栞〟って書くんだけど」
わかりました、しおりさん。そうなんですね。とわたしはいった。わたしはわたしの選択を肯定されたような気がした。わたしはわたしのしたいようにやって来たし、選択を誰かに委ねたこともないし、わたしのことはおしなべてわたし自身で決めてきたけれど、誰だって、いつもいつも、自身の選択に自ら恃む、ということはできないだろう。
しおりさんはそれから滑らかで穏やかなトーンで、問診票と説明文書を用いてトリートメントについて説明してくれた。わたしの書いた問診票を見て、
「きれいな字だね。羨ましいな」
そういって、今日はこれを使おう思うんだけど、どうですか、とボディトリートメント用のオイルの匂いを嗅がせてくれた。
「いい匂い。これ、好きです」
わたしはいった。
「いいいですよね、わたしも好きなんですよね」
と、しおりさんは敬語でいった。ひときわ澄きとおる声だった。今日は父と母は二人してドライブに行った。峠の蕎麦屋さんに行くといっていた。じゃあ、準備をしましょう。服を脱いで下さいね。わたしは部屋の外で待っているから、ごゆっくり。しおりさんはいって、部屋を出ようとした。
「全部脱ぐんですか?」
「ええ。でも嫌だったら、パンツは履いていても大丈夫。おまかせします。準備できたら、ベッドに入ってて下さいね」
――わたしはしおりさんの言葉に甘えて、ゆっくりと服を脱いだ。というか、しおりさんのペースに誘導されて。いつも自分がいる同じ部屋とは思えなかった。時間の流れかた、空気もすべて、しおりさんのものだった。開いていた部屋のカーテンは、さすがに閉めた。外はよく晴れていた。庭のモッコクにメジロが来ていた。母が出がけに、オレンジを輪切りにして枝に挿していたのだ。
わたしはそのほうがたぶん、しおりさんが施術をしやすいのだと思って、全部脱ぐことにした。脱いだら、そそくさとトリートメントベッドに入って、シーツを被った。シルクの肌触りが気持ちよかった。こういうのに寝たのは初めてだった。
「しおりさん、お願いします」
「はーい」
といってしおりさんが入ってきた。しおりさんも施術用の服装に着替えていた。恰好よかった。女同士なんだから、別にここで一緒に着替えてもよかったのだろうけど、そうしない配慮が嬉しかった。
「オイルの匂い、気に入ってもらえてよかった。それぞれの香りに、効能とか色々あるんだけれど、その人にとっていい匂いじゃないとね」
「そうなんですね。うん、これ、好きです。とっても自然な香り」
トリートメントはとても心地よかった。その日の、翌日からわたしは「どんぐりのスポセン」に通い始め、翌月からわたしはそこで働き始めた。秋になろうとしていた。
(つづく)
※「踊る回る鳥みたいに」第5回は2022.1.7(金)掲載予定(毎週金曜更新)です。