空からの光が繁茂する木の枝で遮られた地面には、暗く湿ったところであたり前に見かける草が生えている。ぼくには雑草としか見えない。草の名前を説明する小さな立札が立っているからここは人口的な場なんだと思った。「イヌショウマ(キンポウゲ科)」。「ウグイスカズラ(スイカズラ科)」。「シロコメナ(キク科)」。名を知らない草の方がはるかに多いが、ミズヒキ、ミョウガ、シダ、ドクダミなら子どもの頃から知っていた。ひろ子が、
「ちょっと懐かしくならない?」
と言った。
「夏の終わりの林の中」/保坂和志『この人の閾』(新潮文庫)より
4年半前から長男の興味・関心に乗っかるかたちで自然観察や鳥見――探鳥を愛好する人たちは、不思議なくらい、一般的にはそちらの方が知られている呼称であろう、バードウォッチングとかバードウッチャーということばを使わない、バーダーとはいうけれど――を続けてきたけれど、それくらいの期間のキャリアのわりに、わたしは鳥のことを知らないし、植物その他自然のことも、環境のこともよくわかっていない。
それでも夏休みの長男の宿題の、自由研究は息子の成長や知識や関心の深まりに合わせて、というよりそれを追いかけてふたりでテーマを考え、手伝ってきた。それにしたって息子が鳥を、自然を好きだという前提があればこそで、息子がいなかったらわたしはそんなことをするはずがなかっただろう。
今年は文一総合出版の、そうそう、その名も「BIRDER(バーダー)」という探鳥の月刊誌を発行しているこの出版社だって、息子がいなければ知る由もなかった。その文一総合出版の『日本の渡り鳥観察ガイド』を道しるべとして、今年の自由研究もふたりで二人三脚で取り組んだ。こんなことも今が盛りで、中学生とか、べつにこちらとしてはもう少し先でもいいけれど、じきにわたしの拙い助力など抜きで、したいことをしたいように、やっていくだろう。
同じ川の河口付近で、上写真:ソリハシシギ。下写真:コアオアシシギ(?)。
それは楽しみでもあるし、ちょっと寂しいような気もするし。夏休みも終わり、世間はいまだ出口の見えない、感染症の猛威がつづいてはいるけれど、わたしたち親子はいつもの週末のように、車窓から鳥影を探し、路肩や公園にクルマを止めては、カメラを提げて田んぼや海岸や、河川敷や林のなかを歩いていく――。
今はそれでいい、と思う今日この頃です。
※写真は一部、レタッチしています。
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