彼女が、眼鏡を外したら
ソーダ水の泡がはじけて
これは、ただの夏けもの「ただの夏」(作詞:青羊)
――どう書き始めたらいいか、2020年の春から夏にかけては、息子たちと鳥をたくさん見た。3月から約3ヶ月、学校も幼稚園も休みになって、そんな今年が特別な年だったのか、巷間言われるように“新しい普通”ということなのか、わたしには見通せる力はないけれど、わたしと同時期に鳥見を始めたのに、わたしよりずっと、ぐっと成長したバーダーとなったローティーンの長男にとっては、充実した四半期になったようだった。
ツバメの群れ。わたしも息子も一瞬、見たいと思っていたショウドウツバメと見間違えかける。2020年9月、阿尾湿地(和歌山県日高町)付近。
休校期間中には、地元の探鳥家(田舎のSmall Townなので、バーダー自体が少ないが)にはスポットとして知られている田園地帯に車で通い、“ドライヴスルー探鳥”なんて嘯きつつ車窓から野鳥の姿を眺め、写真に捉えていた息子。単身赴任中のわたしは週末だけだったけれど、運転する妻、そしてそんなに野鳥に興味のない次男も、虫網を持って、途中で寄る河原でチョウを追いかけつつ、毎度々々、熱心な長男に付き合っていた。
2020年7月、地元神社のクスノキの大木で。朝5時過ぎに起床して見たアオバズク。昨年に続けて会うことができた。
その甲斐あって、長男のライフリスト(人生で見た野鳥の種類。写真を撮り始めた息子は、「写真に収めた」鳥にもこだわっている)は随分増えて、今年中に200種類を窺えるところまで来ている。国内の一般的バーダーとしてはたいした数ではないとしても、ほぼ地元中心、今ローティーンであることを考慮すれば、わたしには羨ましいくらいだと思える。
2020年7月、再開された探鳥会にて見られたサンショウクイ。
「毎日通うと、やっぱり見られる鳥が増えるね。」
と息子は言う。彼にとってもわたしにとっても、この状況下でも、鳥見にいそしむことができたのはとても有り難かったと思う。例えば彼の学年とか、わたしの仕事の状況とかが少し違えば難しかったはずだ。毎日妻が運転して連れて行ってくれたのも有り難かった。鳥見じゃなく、もっと人の集まる場所や、屋内での多人数のアクティヴィティだったら出来なかったし、そういう幸運もある。
以前に何回か書いたけれど、鳥を描いた作品、映画や小説にも目が行くようになった。
『LION/25年目のただいま』を観た。筋とは関係なく、随所に(というほどでもないけど)鳥の姿や鳴き声が聴こえたのが気になった、というか嬉しかった。映像的には冒頭の蝶の群れが印象的だけど、鳥のショットも鳴き声も、なんとなく入るわけじゃなくてあえて入れているんだろうし。
— TSUMORI, Soto(ソト) (@t_soto) September 10, 2020
前述のアオバズクとは別の神社で、こちらもアオバズクの情報があったが見られなかった。そういうときは残念だけれど、不思議と「徒労感」はない。そういう積み重ねが鳥見だ、と思える。
そして、鳥を直接テーマにしていなくても、「そこに鳥が見えて(書かれて)いる」だけで、気になるようにも。同じようなことでいえば、今これを書くために使っていて、愛用しているChromebookというPCも、映画やドラマといった映像作品にそれらしいものが一瞬でも映ると見入ってしまう。DVDや動画配信なら、ポーズして確認してしまう。その行為は撮った写真をカメラの液晶画面を何回もズームアップ、ズームアウトして、何という鳥か同定しようとしている行為に似ている。どちらも(鳥見もPCも)わたし自身は知識が浅く、わたしの力ではどうにもならないことが多いということも。
- コロナ禍のさなか、小説の記述に鳥を探す、バードウォッチング。――カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』 - ソトブログ
- 「何かが起こるのを待っているけれど、それが何か分からない」――映画『アメリカン・アニマルズ』と画集『オーデュボンの鳥』 - ソトブログ
漁港近くのシギチ観察ポイントで、トウネン。(2020年9月)
上述のツイートで挙げた、先日観た『LION/ライオン 25年目のただいま』では、随所に鳥の描写や、鳴き声が入る。インドやタスマニアの自然や、都市の雑踏が描かれているから当然の背景、自然音といえるかもしれないが、近年の映画は動物などはCGであることも多いし(ほとんど?)、些細な、背景に過ぎない風景描写であっても、映画において「なんとなく映った」ということはないだろう。あえてその画が入っている、と見るべきだと思う。
ChromebookなどのPCだったら、ブランドロゴや銘柄が映るのはプロダクトプレイスメントだと考えていいけれど、野鳥はアドバタイズすべき商品ではない。映り込んだ(映し込ませた)野鳥が画面上で同定できたら、あるいはそれがCGだったとして、同定しようもないくらいいい加減な、誤った作り込みだったとしたら。後者の場合は嬉しくないことだけれど、映画を観ていてそういうことがわかるようになると、愉しそうだと思える。映画自体、作品自体の愉しみとは別物であっても。
トウネン、キアシシギと同日同所、キョウジョシギとメダイチドリ。
今回の記事はほぼ、写真のあいだを埋めたみたいなものだけれども、コロナ禍、New Normalといいつつも、わたしたちは日々を重ねていく。野外だから、野鳥観察が安全、というつもりはないけれど、気を配りながら、やりたいこと、やれることをやっていく。わたしも子どもたちも、そんなふうに過ごしていけたら、と思う今日このごろです。
タイトルに借用し、冒頭に引用した「ただの夏」を収録した作品。この夏(というか去年から)、いちばん聴いた。
本文で鳥のことを書いたのは、単にわたしの我田引水ですが、主人公・サルーを始めとした人物たちの「居る場所」を魅力的に描いているからこそ、そこに映るものに目が行ってしまうのだとも思えました。
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