"BirdNerd"(鳥バカ日誌)始めました。
わたしの大好きな、というより敬愛、私淑するというか、一時期、その文章を真似しまくった(そのわりに、わたし自身は不自由な文章を書いていますが)小説家、保坂和志のいっぷう変わった小説に、『カフカ式練習帳』(河出書房新社)という本があります。
この本はひとことでいうと――、
ノートに書き写したメモの寄せ集め=練習帳のようでいて、それでも/だからこそ小説でしかない。という稀有な小説。
ということになるのですが、それでも「ちょっと何言ってるかわかんない。」というふうに感じる人がほとんどではないか。と思います。もっと身も蓋もなく端的には、「断片」をただ並べただけ、とも言えます。『カフカ式練習帳』というタイトルには、カフカが残した断片のような、あえてまとまった塊(=小説)にならない断片を、繋ぎ合わせることなくただ書き連ねる、ことが小説になる、ことが込められている――、
「すべてのクレタ島人はウソつきであるとクレタ島人が言った」あるいは
「私はウソつきだ」あるいは、
「私はウソが嫌いだ」
これらは論理学か何かでは真偽が確定できない衝撃的な命題であると言われている、とはよく聞くが私はおもしろいと思ったためしがない。これらの命題に着目する思考法は、発話する行為と命題の内容を同一平面上のものとしている。発話する行為はつねに発話された命題の内容に対してメタレベルにあるのだから、行為した状況を判定することで命題の真偽は簡単に確定できる。
というのはいままで私が考えていたこの命題の驚き(衝撃)に対する反論だったが、(後略)
(保坂和志『カフカ式練習帳』より)
いくら書いても堂々巡りになるのですが、一冊の本、一冊の小説として考えるから妙な心地がするのであって、日々、さまざまな本を読み漁ったり、たくさんの映画を見続けたりしていればしている人ほど、この世のなかで、あるいは歴史上ありとあらゆる書物、作品、そのなかでマスターピースと呼ばれているものに限ってさえ、限りあるひとりの人生のなかで、味わい尽くすことはできない。と気がついていると思います。わたしたちが味わっているのはその断片に過ぎないのだ。そう思うとわたしは、かえって清々しい気持ちになります。
――というようないくぶん回りくどい、文学とか芸術の話を始めようというつもりはなくて(そういうモードのときもありますが)、野鳥観察、バードウォッチング、鳥見――呼び方は何でもいいですが、鳥の話です。ここ三年ほど、小学生の長男とバードウォッチングを続けてきて、最近は息子も高学年になり向上心も行動力も増してきて熱が入っているため、わたしもヒートアップしてこの「ソトブログ」もいきおい、鳥見のことばかり書いているような気がします。
にしてもわたしの知識も写真の技倆も追いつかないので、じっさいに週末ごとに鳥見をしている回数ほどには、ここで紹介しきれていない、というのが現状です。たとえばわたしのようなまだまだビギナー(あるいは、ビギナーに「毛が生えた」くらいは言えるかもしれないけれど)のバーダーにとっては、知識や経験の豊富な先達による指導だったり、そういった人たちの書かれたものや、撮られた写真が参考になることが多く、そこにわたしのようなヘタクソが何かを書き加えるようなことは、こういうブログでさえ、かえってジャマになるかもしれないな、という気持ちもあったりして、そういうエントリを量産することは控えてきました。
しかし鳥見を続けていると、保坂和志が『カフカ式練習帳』という形式で断片を書き続けたことと同じ、とは言いませんが、日々鳥を見て、その姿を写真に収めたり、見た鳥の記録をつけること、それ自体が愉しい。ということを感じずにはいられません。以前(というか前回の記事でも)にも当ブログで紹介した映画『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』では北米で一年間に700種以上を見た者たちの戦いが描かれますが、普通に生活していて、あるいは普通に(日常的に)鳥見をしていてさえ、それだけの数(種類)の鳥を見ることは叶わないものです。
探鳥会では「鳥合わせ」といって、その日見られた鳥を参加者同士で確認し合うのが習いとなっているし、わたしたちのように親子で、あるいはひとりで探鳥をするときにも、必ず記録をつけるものです。ただそこにいるものを見るのが何が愉しいものか。映画だって映し出される画像(と音)の連なりを眺めるだけだし、読書にしても既にそこに書かれている文字を追うだけの娯楽=passtimeなのです。
ヒレンジャク
だからつまらないのではなくて、だから面白い。「既にそこにあるもの」だけれど/だからこそ、「わたしはいまそれを読む/観る/観る/記録することによってそれがそこに存在する」というようなことなのだと思っています。
ヒドリガモ
日々本を読むように、メモするように、鳥を見る。――そのことの実践としてなら、わたしのような半可バーダーが記録し、それを公開する意味がある。そう思って、いまわたしがここに書き連ねているような駄文ではなくて、本当の日々の記録としての探鳥録を、当「ソトブログ」のサブブログとして始めながら放置していたブログ「sotowrite」にて、新たに始めてみました。
すなわち"BirdNerd"(鳥オタク=鳥バカ)日誌。細々とした歩みですが、ちょうどわたしがウェブをサーフして見知らぬバーダーの探鳥録をそっと覗きにいくように――そして実際、初めての探鳥地に行く際には、そうしたものが頼りになります――見られることを願って。
チョウゲンボウ
コゲラ
ウグイス
イソシギ
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