ソトブログ

映画と本、自然観察(あるいは40歳、2児の父の日常)

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ビコーズ・ザ・ナイト――10,000 Maniacs、ならぬ10,000PVに一喜一憂(してる場合じゃなくて、大好きなラジオが終わることなど)。

 

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続けること/終わること――そして人生は続く。生活は続く。

 

15ヶ月間続けてきて、“初めてひと月のアクセスが10,000PVを超える”という、これを書いているわたし以外にはぜんぜん意味のない、しかもすこしも凄くないどころかしょっぱいとさえいえる事実が、それでもやはりなかなかどうして少しばかりうれしくて――こうしてキーボードを叩いているのですが、わたしにとってはこうして文章を書き続けることじたいが愉しいのだ。ということも、幾千の先達のブロガーの皆さんが感じてきたことでしょう。わたしもまた、同じように感じています。

 

というのも、このブログでは(個人のブログだから当たり前のことですが、しかし実はそうともいえない)ほんとうに書きたいことしか書いていなくて、そうするとわたしの場合なぜか、たとえば

 

 

www.sotoblog.com

 

――そんなふうな、世のなかの趨勢からちょっと逸れた、的を外した、オートマティックに遠心力のかかってしまうわたしの興味・関心によって、もしかしたらいるかもしれない潜在的な読者を意図的に、あるいは無意識に遠ざけてしまうようなテキストを量産しているように思います。

  

 

しかしなお、それでも、「ひと月のアクセスが10,000PVを超え」てしまうという現代の不可思議(くどいようですが、それでもやはりなかなかどうして少しばかりうれしく思っています)。

 

とはいえこうして続けてみると自分のテキストについて不満に感じるところがないわけではなくて、その最たるものは、狭いながらもいくつかあるわたしの関心にしたがって、先にも挙げたように、

 

  • 最新でもどメジャーでも、ことさらマニアックなわけでもない(そういうものもたまにあるけれど)、ただたんに「わたしが今観た」映画のレビュー
  • 息子と断続的に続けている、バードウォッチング(鳥見)をはじめとした自然観察
  • Chromebookポメラといった、メインストリームではないデジタル・ガジェットのレビュー――ただしテクニカルなものではなく、極めて日常的な使用感やそれらとの「付き合い」について綴ったもの。

 

大きくわけてこれら3つのジャンルがこのブログのテキストの柱になっているのですが、どうにもこれらがうまく「混ざらない」ということ。それぞれのジャンルについて書くときに、「映画ならこのモード」「息子との日々ならこういう書き方」「Chromebookについてはこういう視点や文章で」というふうに、意識的・無意識的とに関わらず他ブログやメディアを参照して書き分けてしまっている――というよりそういうふうにしか書けない、ということに、ちょっと自分の力不足と、物足りなさを感じています。

  

 

「いや、雑記ブログなんだから、それぞれはそれぞれでいいんだよ。」

 

ロジカルにいえばそういうことになるのでしょうが、なんというかわたしは、それらが渾然一体となった、奇妙なキマイラ的生命体のような、アンドロメダ病原体(スミマセン適当な引用です)のような、「何を読まされているんだわたしは?」というような文章を、けっこういつも書きたい、と夢想しつつこのブログを書いています。

 

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その意味で、当「ソトブログ」では例外的に細く長く読まれ続けているらしい、ポメラについてのこのテキストは、個人的にはとても気に入っています。有益な情報を求めてサーフしてきた人にとっては、中途半端にポエティックなテキストに面食らう/ないし辟易されることにもなっていると推測しますが、それでもわたし(というポメラDM200を愛して止まないいちユーザー)にとっては、このポメラDM200という愛すべきマシンの使用感の、クリティカルな部分については過不足なく触れています。

 

 

――以上のような、わたし以外にはどうでもいいことを考えつつも、これからも細く長く書き続けていたいな、と思っていた矢先に、もちろんそのこととは無限に関係なく、わたしの大好きなラジオ番組が年内で打ち切りになるという発表がありました。

 

www.tbsradio.jp

 

2011年からつづくこの『菊地成孔の粋な夜電波』を、わたしは2012年ごろから断続的に、ここ数年はほぼ毎回欠かさず聴いてきたために、それが「終わる」ということを想像したことがありませんでした。しかし番組の標題のとおり、(わたしの知るかぎり)他のどんなメディアよりも“粋”なコンテンツを発しつづけていたからこそ、ほんとうはそれは、いつ終わってもおかしくなかったのかもしれない。――あらためてそう思うと、<不惑>を迎えてからこのかた(ほんとうはもっと前から、ここ数年ほど)、わたし自身の価値観や世界観を超えて世界や人心が加速度的に進むように感じて、それもわたしは都合よく、「世のなか意外といい感じに、いい方向に向かっているのかも?」なんて、無根拠に感じてしまっていたのだ、ということに気づかされでもしたような気分でいます。

 

そう、「気づかされでもしたような」。そんなことはだれも言っていなくて、わたしが感じているだけなのです。

 

この番組の、粋なパーソナリティが番組の終了に際してツイートされたように、「人生は祭りなんですよ。艱難辛苦を飲み込んで、絶望とともに笑って楽しむしかないのよ。それが最強の状態なのよ。」

 

この記事の、ここまでの文章を読み返してみると、異常なくらいマッチポンプな、それこそ独りよがりなことを書いているようですが、たった15ヶ月でもブログを続けてみると、自分にとっても予想外の地平が見える(気がする)こと。その点だけは、続けてきた身としてお伝えしたいと思います。物凄く小さくくだらない話ですが、それを受け入れてこそ人生の醍醐味というもの。

 

これからも「ソトブログ」をよろしくお願いします。わたしはわたしの大好きなラジオ番組を、終了まで愉しみたいと思います。

 

ここ最近の(というほどでもなくて、2017年の本ですが)映画批評の本のなかでも非常に好きな本のひとつ、菊地成孔氏の「英語圏以外の映画を中心」とした評論集。

 

【以前の記事から。始めて4ヶ月のときに書いた、「このブログの書き方」。】

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