夜の浜辺でひとり
原題:밤의 해변에서 혼자
英題:On the Beach at Night Alone
製作年:2017年
上映時間:101分
監督:ホン・サンス
“何も起こらない”というウソ。
この1月に初めて『アバンチュールはパリで』(2008年)を観て以来ホン・サンス監督作品にはまり、この半年で本作を含め15作品を観てきました。
しかしながら、その「面白さ」を人に伝えるのは、難しい。
端的にいって、ホン・サンスの映画では何も起こりません。
実はこれは雑な言い方というか、もっと即物的にウソなのですが、日常的にエンターテイメントに慣れた観客からみるとそう見えるだろう、ということ。しかしホン・サンスの映画がエンターテイメントじゃないのか? というとそうでもなくて、とても贅沢で娯楽性の高い映画だとも思います。ただ、実際に画面のなかで起こっていることといえば、それぞれにチャームはあれどだらしないところ、いい加減なところ、憎たらしいところや「たいがい」なところも多分にある男や女が、会って話をし、食事をしては話をし、酒を飲んで話をしたりしているだけなのです。
「それのどこがエンターテイメントなんだ?」
と言われれば、(少なくとも私には)返す言葉がありません。ただ、こうした作家性の強い「アート系」と言われるような映画や、日本でいう「純文学」のようなジャンルのフィクション、所謂「日常を淡々と描いた」と言われがちな作品についてしばしば口にされ書かれる、
「何も起こらない」
という言い方は、すごく雑なんじゃないかと思います。私も色々エクスキューズしながらそう書き始めました。そう、この鬱陶しいくらいに自己言及(というより言い訳、言い逃れ)し、しかもそれが周りの人物にとっても観客にとってもまったき正論などでは全然ない感じ、それこそがホン・サンス作品の面白さであり可笑しみであり特異なところであって、だからこそクセになる。それが私たちにとってのエンターテイメントでなくて何であろう! そんなふうに思ってみたくなるところが、ホン・サンス作品にはあります。
「個人的な話は退屈ですよ。」
本作では主人公/ヒロインであるところのキム・ミニ演じるヨンヒが、不倫関係にあった元恋人である映画監督と再会し、彼のスタッフたちとともに酒を飲み交わし会話をする場面があります。ホン・サンスの映画をずっと観ていると、彼の映画のほとんどはそういうシーンで出来ているとさえ思えるのですが。――それはともかく、そこで二人は唐突に映画談義をします。ここで上手いな、と思うのは、女優であるヨンヒと映画監督の会話だからそういう話が出ることが自然だ、ということではなくて、彼女が酒の勢いを借りて感情的になる人物であるということがそれ以前の場面でも既に示されており、また、そのことで場が崩壊することはなく、周囲はそんな彼女を生暖かく受け止めていることがわかります。すなわち、ヨンヒが酔って周りの人に絡み、そのことでその場が決定的に変化してしまうことが主題ではない、少なくともそういうことが起こる場面、ないし映画ではないと観客は思えた上で、この場面に臨むことができるのです。
そこで彼女は監督の映画に対してこう言い放ちます。
「個人的な話は退屈ですよ。」
この映画をここまで観てきた観客なら、あるいはずっとホン・サンスの映画に付き合い続けて来た人なら尚更、ホン・サンス監督自身に対して、
「それ、あなたの映画のことでしょう!?」
と突っ込みたくなる本作でも白眉のズッコケなシークエンスであると同時に、その後に続く(映画の中の)監督の、「何を撮るのかではなくてどう撮るかだ」「自分の撮りたいシーンを撮ってつないでいくだけだ」、それこそが(私の)映画なのだ、という言葉(聴き起こしたわけではなく記憶を頼りに書いているので一字一句合っているわけではありませんが)は、そのままホン・サンスの映画観と取っていいだろうと思えるのですが、それこそホン・サンス映画を観続けて来た者にとっては「何故今さら、それを言わなければならないのか?」そう思える場面ですが、――実人生においてホン・サンス監督は、この映画の監督と同じように、主演のキム・ミニと不倫関係にあり、そのことを公言しています。そしてだからこそ、こういう映画を撮るのでしょう。どこまでもマッチポンプだとも言えますが、おそらく監督は論理的にも実感としても確信しているのでしょう。
個人的な話は退屈だからこそ、面白く、描くに足るエンターテイメントである、ということを。
キム・ミニの、EASTPAKのデイパック(がダサい、からこそ)。
二人のあいだに映るのが、キム・ミニの背負っているEASTPAKのバックパック。
もうひとつ、この映画で特筆すべきはキム・ミニのファッション。というか服装、端的に言ってバッグと靴なのですが、彼女は劇中でも女優を演じる端麗な容姿と、スタイリッシュなロングコートに身を包みながら、EASTPAKのデイパックにVANSのスニーカーという、いかにも不釣り合いにカジュアルな二つのアイテムを合わせているのが目に付きます。
ゴダールやロメールといった監督を引き合いに出され、ポスターヴィジュアルなどでもスタイリッシュな印象のあるホン・サンス作品ですが、実際に観てみると、いかにもそこらへんにいそうな、「風采の上がらない」という言葉の似合う男たちや、あるいは今回のキム・ミニをはじめとした美しい女優たち、時にはフランスの名女優、イザベル・ユペールが出ていてさえも、画面のなかの人物たちは、決してスタイリッシュでもお洒落でもありません(もちろん映画そのもののルック、画面の質とは別の話です)。そして、これを書いている私も貧乏学生時代に使っていたような、リーズナブルなEASTPAKやJanSportのデイパックのようなバックパックを、彼ら/彼女らはしばしば背負っています。
私たちと同じように風采の上がらない、あるいは私たちよりずっとスタイリッシュなはずの人たちが、私達と同じように平凡で冴えないとも言える日々を送り、決して人様に褒められないような言動・行動を繰り返すホン・サンス映画を観ていると、
「映画って、人生ってめちゃくちゃ面白いなァ」
と思ってしまうから不思議なものです。上記に突然挟み込んだ『暇と退屈の倫理学』という本を今読んでいるところで、まだ上手く言葉にできないのですが、「退屈な人生」というクリシェも、たかだかこのバックパックくらいの重さ=ヘヴィさしかないんだよな、と思えて心が軽くなるような気がします。主演女優と不倫し、彼女が主演した映画を立て続けに撮るというスキャンダラスな状況にありながら、また内容としても映画とは?人生とは?というシビアなテーマに毎回挑みながら感じさせるこの「軽さ」こそ、巷間に溢れているそれとは違う、「ミニマリスト」としてのホン・サンスの本質なんじゃないか、と思う今日この頃です。
- 6週連続企画 <新しくなったかもしれないホン・サンス>第1週――菊地成孔が語るホン・サンス。「それから」で達した新境地
:ウェブマガジン「A PEOPLE」における菊地成孔によるホン・サンス評。ミニマリストとしてのホン・サンスの、「その先」について言及されており、プロの批評は違うな、と唸りました。
6/28、ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。平日の夕方ということもあり、少し寂しい入りでしたが、こんなスペシャル・メニューも。
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