ソトブログ

映画と本、自然観察(あるいは40歳、2児の父の日常)

ソトブログ

その人にしか書けない別のこと――<読みたくなるブログ>について。

 

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やや長い前置き――「私が読みたいのはそういうことじゃない。」

 

ブログを始めてみて、それまでの生活と変わったことといえば、新たに読むようになったブログができたこと。変わらないことといえば、自分が読みたい、読みたくなる文章のタイプ。この「ソトブログ」を開始した当初に、「今、ブログ界隈はどうなっているのかな?」とはてなブログをはじめとして色々なブログを漂ってみて驚いたのは、商品レビューやスポット紹介、ハウツー、Tipsといった、「有益な情報」を発信しているブログが、本当にたくさんあることでした。

 

私も探している情報があるときには検索でそのような記述に辿り着いて、日々参考にしています。そのこと自体に否定的な気持ちもないし、玉石混淆のウェブ世界といっても質の高いテキストがたくさんあります。非常に「ためになる」、求めている情報が過不足なく見られるというのは、嬉しいものです。

 

ただ、「誰もが豪邸に住みたがっているわけじゃない」のと同様に、私は「いつも」有益な情報を得たいわけじゃない。 

 

ライムスター宇多丸さんとその愉快な仲間たち(失礼!)による名著。本書が増補再販や文庫化を経てもずっと「誰もが豪邸に住みたがっているわけじゃない」という副題を付け続けているのには、意味があると思っています。

 

自分で書いていてもそうなのですが、時と場合によりますが、モノや事物の、ただ「便利」だったり「有益」する部分にだけ触れていると、書いていて、読んでいて、「私が書きたい/読みたいのはそういうことじゃないはずなんだけど……」という思いが頭をよぎります。

 

先日、ブログを始めて「100記事め」ということで書いた節目の記事でこういうことを書きました。

 

――と、ブログを始めることで出合ったブログやサイト、音楽と人についてもっと紹介するつもりでいたのですが、今日はそろそろ遅くなってきました。それらはまた別の機会に、書いてみたいと思います。

 

www.sotoblog.com

 

私がネットを通じて読みたい文章のなかに、「一見有益な情報に見えて、そうじゃない」――あ、これだと半分ウソです。「一見有益な情報に見えて、それだけじゃない」。何かその人の個人的な事情や思いだったり、ある特定の事物について書いているけれど、「その人にしか書けない別のこと」に繋がっていること――そういうのが見えてくると、途端に嬉しくなります。

 

 ぼくは童話やファンタジーのように考えることをしないから、陽だまりでうたた寝(これを「キャットナップ」と言う)している猫を見て、「遠い昔のことや、人の思うことのできるよりももっとずっとはるかな未来を思い描いているのかなあ」なんて思うことができない。そして、そんなことはつまらないと思う。それよりもぼくがいろいろな経緯によって身につけてしまった複雑な言葉の機能を取り払って、あるいはそれからいったん離れて(といっても無理だろうが、できるだけそうしようとして)、動物の内面を考えてみることに関心がある。勝手なことを言ってしまえば、それは別種のディスクールを準備することなんじゃないかと思う。別種のディスクールを準備する――それが小説というものだともぼくは思っている。

 

保坂和志「やっぱり猫のこと、そして犬のこと」より引用(『アウトブリード』(河出文庫)所収)※太字部分は原文では傍点

  

映画や小説といったフィクションについて、(ある意味当然ではあるのですが)今流行っているものが集中的にレビューされるし、それが自分の肌に合わなかったり、評価できないものだったりすると、「想像していたのと違った」とか、「伏線の回収ができていない」といった言い方で否定的に話題に上ります。微に入り細に穿った情報が提示される一方、書き手自身の実感に根ざしたテキストではなかったり、あるいはデジタルガジェットや洋服(ハイファッションから無印、ユニクロまで)についてデザインから仕様、使用感まで詳細にレビューされていながら、その製品について書き手は試用/試着しただけで実生活で使っているわけではなかったり。――私はそういうものを読むと少し、残念な気持ちになります。

 

こういうこと、あえて私のような人間が、ネットの、世界の隅っこでわざわざ書くようなことじゃないのかもしれません。しかし、好むと好まざるに関わらず、現在は、ネットのなかにないものは存在しないものとされてしまう世界です――私はそう思っていないつもりですが、やはり趨勢としてはそうなっているように感じます。そんななかで、こういうことを考えている、ということを書き付けておきたい気持ちになるのです。もちろん、ただ個人的なことを書けばいいとか、書かなければならないということではありません。ただ、「個人」による「メディア」であるブログということを意識すると、私は、少なくとも書き手の思いや世界観が反映されたものを読みたい/書きたいと思います。

 

前置きが長くなってしまいましたが、私がこの「ソトブログ」を始めたことで読むようになった、私にとって、「その人にしか書けない別のこと」があると感じられ、私自身、愛読しているブログのなかからいくつか、紹介してみたいと思います。

 

私の<読みたくなるブログ>

 なるかみ音海さんの『音楽と本』

 

www.otominarukami.tokyo

 

その頃の僕はいつかバンドで成功するのだという甘い見通しの人生設計を抱えた、今思えば身の程知らずの甘ちゃんであり、せっかく大学を卒業したのに就職もせず親に迷惑がかかっていることも一切気にかけず、若さから来る根拠無い楽天主義にささえられて日々を無為に過ごしていたただのプータローだった。

 

  そうしてそこには僕と同じようなプーが何人もいて、中には30歳を超えた人もいた。その人の名前は失念してしまったが、毎日同じ服装で(ベージュのチノパンにダンガリーシャツという出で立ち)、毎日必ず昼には「緑のたぬき」を食すという恐るべき習慣の持ち主だった。昼になり、コンビニへ行き絶対に「緑のたぬき」を買うのだ。何があろうと昼は「緑のたぬき」なのだ。1年くらいその人はいたかもしれないけれど、その間の彼の昼食は絶対に「緑のたぬき」だった。

 

ブラインド・メロン/BLIND MELON ギターカシャカシャ - 音楽と本

 

その名の通り「音楽と本」を中心とした文章を綴られている、なるかみさんのブログ。デスメタル、グラインドコアといったエクストリームなジャンルからオルタナ、ダンスミュージックまで深い造詣に支えられたアーティスト紹介もさることながら、その音楽にまつわる(あるいは全然まつわらない)バンドマンや小説書きとしての豊富な経験に裏打ちされた与太話(失礼!)が滅茶苦茶可笑しい。いや、そういうと語弊がある、というか正確じゃないかも知れません。「可笑しいとか可笑しくないとかじゃなくて、私はこういう記述にこそ、こういう文章にこそ用がある」という気がするのです。ああ、読めてよかった、とも。私たちの生活は、人生は、真面目とフマジメのあいだ、与太話とマジバナのあいだにあるのですから。

 

余談ですが、そんなヘヴィロックでSF好きななるかみさんのブログのデザイン(テーマ)が、内容に全然則していないベニシア・スタンリー・スミスさんなのか、お尋ねしてみたいな、と思いつつあえて聞かないでいます(ベニシアさん自体は私も好きです)。

 

Buchicatさんの『こどもと読むたくさんのふしぎ』

 

buchicat.hatenablog.com

 

先日見た「小さな旅」は、大崎下島だった。大崎下島(大崎上島の方も)は、中国地方に住んでいた当時訪れたことがある。ここはレモンの産地で、段々畑にレモンの木が一面に植えられている。斜面が広がる地形は、海からの照り返しもあり、太陽の光をたっぷり浴びたおいしいレモンができるそうだ。島の女性は穫れたレモンを味わうだけではない。レモンの葉っぱを使って、布を染めたりもする。刻んでゆでて、そのお湯に布をひたすと…葉っぱの緑色ではなく、それはそれは美しいレモン色に染まるのだ。あ、『草や木のまじゅつ』だ、となんだかわからないけど、うれしくなった。

 

なんだかうれしい(第193号) - こどもと読むたくさんのふしぎ

 

福音館書店に「たくさんのふしぎ」という月刊絵本があります。絵本といっても物語よりも、自然科学・社会科学を中心とした(主に)ノンフィクション的な題材が多く、毎回特色のある書き手による内容は、ターゲット読者層である小学校3・4年生だけでなく、大人が読んでも面白いものです。私自身、大学生の頃に出合い、以来、折に触れて愛読し、今は小3の息子が定期購読しています。

 

そんな「たくさんのふしぎ」の読書録として、エントリーごとに1冊を取り上げる、という極めて限定された題材のブログながら、“針の穴から世界を見る”というか、一児の母でもあるBuchicatさんの、多彩な知識や連想、思いの連なりで読ませる文章の、鮮やかさ。上記は、様々なアーティスト、個人の<なんだかうれしい>を表現したオムニバス絵本、2001年4月号「なんだかうれしい」についての記事ですが、Buchicatさんのテキストは、NHKの旅番組「小さな旅」の感想から、始まります。読んだ本も観たテレビも、実生活の出来事も、全て同じように私たち自身の<経験>であり、そこから私たちは何かを考えることができる。Buchicatさんの『こどもと読むたくさんのふしぎ』を読んでいると、いつもそんなことを想います。

 

ミフミさんの『フリーランス主婦の孤独LIFE』

 

www.mifumis.work

 

よく字幕翻訳者は「黒子」であると言われます。
読んでいることを意識させない「透明」な訳を作ることが、字幕翻訳者の使命だと。
それゆえに、観客や視聴者から「この字幕はよかった」なんて言われることはありません。
むしろ何も言われなければ、いい仕事をしたということでしょう。
その逆に誤訳などがあれば、そこだけ注目されて過剰に叩かれる。
翻訳者というものは、人から感謝されることが非常に少ない職業だと思います。
ですから、あなたが「人に感謝されたい」「褒められたい」と思っているなら、
翻訳者という仕事は向いていないと言えるでしょう。

 

「黒子」に徹する字幕翻訳者が言われてうれしかった言葉 - フリーランス主婦の孤独LIFE

 

フリーランスで映像翻訳を業とされているミフミさんのブログ。私自身はただの映画好きで勤め人で、翻訳という仕事にもフリーランスという働き方にも馴染みがないのですが、海外の映画やドラマを鑑賞するにあたってはもちろん、字幕や吹替による翻訳にお世話になっています。また、少し自分の詳しいジャンルの話だったり表現だったりすると、「この訳はないんじゃないの?」などとツッコミを入れたりしている無責任な鑑賞者のひとりです。

 

ミフミさんのブログは、「映像翻訳者」というプロフェッショナルとしての仕事への取り組み方や、「フリーランスの映像翻訳者」というライフスタイルにおけるいち生活者の視点でも非常にリアリティがあって、私のような門外漢にとっても、翻訳者の方がどういう点に注力され、腐心されて翻訳に取り組まれているか、映像翻訳がどういうプロセスで行われているかということを知るにつけ、少し違った視点から翻訳作品を観ることができると思いますし、あるいはミフミさんのブログを読んで、自身の働き方や仕事への取り組み方について、省みたりしています。また、翻訳者目線での電子辞書選びなどの記事も、翻訳をしない私でも、「文章を書く上で電子辞書、必要かもなァ」と思わされもして、今、悩んでいます(先立つモノがないので……)。

 

映像翻訳者が電子辞書を持っておくべき5つの理由 - フリーランス主婦の孤独LIFE

 

コトリスさんの『喫茶のすたるじあ』

 

www.kissa-nostalgia.net

 

ぶらくり丁に店を構えるのが、1964年(昭和39年)創業の「純喫茶ヒスイ」。
和歌山が喫茶店好きの聖地と呼ばれる所以はこの店の存在が大きいと思う。
47都道府県の純喫茶 愛すべき110軒の記録と記憶でヒスイを知って、初訪問したのが2014年7月。
「ぜひ一度自分の目で見たくて遠方から来ました」と話すと、マスターご夫妻と娘さんに歓迎してもらったことを覚えている。
高い吹き抜け天井の細やかな意匠。吊り下げられたシャンデリアの存在感。
教会のような巨大なステンドグラスと、間に飾られたモナリザ。
豪華絢爛な装飾に、どこぞの宮殿やねんと呆然。
椅子に身を沈めて、飽きずに頭上を見上げていた。

 

和歌山の至宝は、きらめく宮殿。【和歌山・純喫茶ヒスイ】 - 喫茶のすたるじあ

 
2017年度に1年間、ブログdeバーチャル駅長として阪急電鉄のサイトでブログ「阪急沿線ノスタルジック散歩」を執筆されるなど、(カフェ、ではなく)喫茶店巡りをライフワークのひとつとされているというコトリスさんのブログ。

 

私の住む田辺市を中心とした和歌山県紀南地方も、意外なほど古くから続く喫茶店が多く、雰囲気のいい店も多く時々利用しています。コトリスさんの喫茶店愛に溢れる文章と、それぞれの喫茶店の魅力を限度いっぱいまで引き出した素敵な写真を見ていると、喫茶店という、普段行き慣れた、知っていると思っている場所、空間でも(いや、喫茶店に限らず)、そこを味わい、愉しみ尽くす視点と姿勢があれば、スペシャルでシュプリームな楽園足りうるということを、再認識させてくれます。このはてなブログでの『喫茶のすたるじあ』は2018年3月に始められたばかりとのことで、和歌山県紀南地方にもいつか、いらして(もういらしたことはあるのかも知れませんが)、紹介していただけると嬉しいな、と思っています。自分の知っている場所を、この人ならどう見せてくれるのか、そんな期待をしてしまいます。

 

鈴木章史さんの『Life Style Image』

 

lifestyleimage.jp

 

当ブログでも度々紹介させて頂いている、というより私がChromebookを購入して愛用するきっかけとなったブログ、「おふぃすかぶ.jp」を運営されている鈴木章史さんのもうひとつのブログ、(というか、こちらが本来のメインブログらしい)『Life Style Image』。

 

革靴や腕時計の販売スタッフだったという経験を活かし、「シンプルを軸に、革靴、時計、革製品から文房具まで、モノとの付き合い方を通してライフスタイルを提案する」記事を多く執筆され、革靴のお手入れについては『靴ブラシで歩き方が変わる』という電子書籍を出版されている――。という通り一遍の説明では、鈴木さんのブログの、テキストの魅力の半分も伝わらないというか、そういう<ガワ>だけのストーリーに終わらない細部や、熱い思いや、ステートメントこそが『Life Style Image』の、鈴木さんという方の魅力だと思っています。

 

革靴については私は本当に無知で、『Life Style Image』や『靴ブラシで歩き方が変わる』を参考に日々革靴にブラシだけかけている蒙昧な人間なので詳しくは語れませんが、それ以外の、たとえばこういう文章(少し長いですが引用させて下さい)――、

 

「ジャズはこわい」をこれほどうまく表した本は無いと思います。好き嫌いはハッキリ分かれると思います。
ただ、最近になって改めて思うのですが、この本に書かれていることはジャズに限らず、趣味として何かのモノにハマる時のモノ選びやモノとの対峙の仕方の極意を表しているように思えてなりません。
一つの道でそれなりに極めた方には軸の部分で相通じる部分というのがあるのかもしれません。
勿論私はまだ何も極めてはいませんが、これは例えば本というものと向き合う時にもとても有効な手段だと思うのです。

 

最近、本屋に行くたびに思うんです。これだけ出版不況だと言われていても、毎日果たしてどれくらいの新刊が出続けているんでしょうか。
そして、国会図書館に行くたびに思うんです。この中の資料は、今日もますます増え続けていくんだろうな。
そんな中で、私たちが一生の中で出会える本というのは、果たして何冊になるんでしょうか。
例えば、私は今36歳ですが、これから86歳まで50年間、本を読み続けたとします。私のスピードだと、月2冊から3冊でしょうか。意外と少ないです。
となると、1年で24~36冊。10年で360冊。50年で1800冊です。これ、多いように見えますが、本屋で目の前の棚に並んでいる本、何冊あると思いますか?
そう思うと、私が一生の中で出会える本って、大した数にもならないんです。
もちろんハズレもある、いや、ハズレのほうが圧倒的に多いかもしれません。
そんな本をそれぞれ1回ずつしか読まなかったとして1800冊ですよ。ショボいもんです。

 

[0465-201412] 中山康樹「超ジャズ入門」は、ジャズに限らず本選びや物選びにも通ずる、何かを身につける時の極意だと思います。 | Life Style Image

 

2014年、4年近く前の記事なので、鈴木さんは「そんな昔の文章持ち出さないでよ」と言われるかも知れませんが、『Life Style Image』を少しでも丁寧に読めば分かるとおり、たとえば革靴について、豊富な知識と実践に裏打ちされた確固とした姿勢や考え方、思想が鈴木さんにはあると思います。しかしそういう人であるがゆえに、対象や人との距離感を見失わない付き合い方ができるのではないか。――いや、違うかな、皆がそういうふうであれるわけではなく、なかにはそうした自身のなかにあるストックを笠に着て、居丈高になる人もいます。しかし、できれば鈴木さんのような姿勢を持ち続けることのできる人間でありたい、少なくともそういう表現のできる文章を綴りたい。鈴木さんの「Life Style Image」を読んでいると(同世代、同い年ながら)いつもそんな気にさせられます。

 

 

 

【過去記事より、私がこのブログを書くときに考えていること(2017年11月に書いたものですので、いくらか心境の変化はありますが)。】

www.sotoblog.com