季節感と気分、クマノザクラ
季節感と気分、というのは年月を経るごとに固定化するのか、あるいはきっかけは何なのか、人それぞれだとは思うけれど、私はどういうわけか、この季節になると気分が浮き沈みします。
そんな人は多いと思うけれど年を取るごとに桜が好きになってきて、特に今年は私の住む和歌山県は紀南地域で、日本では100年以上ぶりの桜の新種「クマノザクラ」が文字通り発見された――クマノザクラはもともとこの地にずっとあったわけで、今になって湧いて出てきたのではないのです――ことを、(私ではなく)小学2年生の息子が嗅ぎつけてきたことで、息子共々桜に興味を抱いて、
「これはソメイヨシノ」「こっちの色づいた葉と同時に開いているのはヤマザクラ」「この白いのはオオシマザクラ」
と、見分けながらその彩りの違いを愉しめるようになりました。
オオシマザクラ(和歌山県古座川町の一枚岩にて)
そういうことは、直接いま私自身が置かれている状況とは関係なく、浮いたり沈んだりする気持ちをほんの少しだけ、ベースアップして浮かせてくれます。私は論理的に正しく、反論のしようのない完璧なロジックで構築された考えや、それらに基づいたプロダクトや世界観を提示されると、どこか自動的に反発するような、あるいは賛成しつつも少し怖いような、形容しようのない気持ちになったりするのですが、それさえも忘れさせてくれる。
赤江珠緒さんの<凄み>。
――産休・育休明けで一年ぶりに赤江珠緒さんがパーソナリティに復帰されたTBSラジオ、ウィークデイ午後のワイド番組『赤江珠緒たまむすび』をradikoプレミアムのタイムフリーで追いかけて聴きながら私は、息子と私にとってのクマノザクラのように、そういう心のアンバランスを均したり、ベースアップ、すなわち全体的に軽く、浮かせてくれる、赤江珠緒さんのお喋りの、<凄み>を噛みしめていました。
こういう感覚的で論旨のぼんやりとした文章に、そして自他ともに認める<ポンコツ>赤江さんのラジオでの振る舞いを形容して<凄み>とか<噛みしめる>なんて語彙を使うのはそぐわないかもしれないし書いていて私自身も奇妙な感じがしますが、赤江さんが月曜日のパートナー、カンニング竹山さんとのオープニングトークで、
“陣痛はマヨネーズ”
という持論を展開するのを聴くにつけ、やっぱり<凄み>としかいいようのないトーク無双、赤江さんのラジオを、この浮き沈みする季節にふたたび聴けるということは、私にとって僥倖と言わずして何であろう!という思いを深くしている、今日この頃です。