ソトブログ

文化系バーダー・ブログ。映画と本、野鳥/自然観察。時々ガジェット。

ソトブログ

圏外を歩くように/アジテーション(あるいは、普通の人の普通の日々 #004)

 

この記事をシェアする

 

【この記事は私の妻がフィルムカメラ、ペンタックスSP及びコニカ ビッグミニで撮影した写真に、私が文章を添える形の連載の4回めです。】

 

www.sotoblog.com

 

私がアクセス数どうこうとか関係なくこの連載を書いているのは妻の写真が好きだからで、しかし本当のことをいうとこの写真たちが多く人の目に触れるようにこのブログが爆発的に読まれてい欲しい。と思っています。理想をいえば何について書いても私の文章を読みたい、と思って読まれれば良いが、「ああ、あの変な文章ばかり書いているブログのあの写真、良かったな。」と思われて彼女の写真が見られたら、とも思います。

 

ラジオのニュース(私の住んでいる部屋にはテレビがないので)で、通常国会の首相の施政方針演説が報道されているのを聴いていて、私は以前――日付を見ると8年以上前――に書いた自分の文章を思い出して、フォルダから引っ張り出してここに掲載することにします。

 

良し悪しはともかくこれは私が自分の書いた文章のなかで最も好きな文章のひとつで、私はこれを書いた当時(もともとはmixiで別人格として書いた――当時mixiで私は、本名のアカウントとは別に、別人格「soto」(女性)として日記を書いていました――日記の文章なのです)、この文章をして「これはめずらしく、sotoさんによるアジテーションのように感じました。いつになくエモーショナルな感じがします。」と評価してくれた人がいて、私は逆にその人の書く文章の佇まい、凛々しさが好きだったので、本当に嬉しかったことを憶えています。手前味噌である上にこれからその文章を載せるわけで自分でハードルを上げまくっているのですが、私はいつも、ブログでのレビューのような文章でも、自分が昔書いたこんな文章に、拮抗できているかどうかと思いながら書いています。では、以下――

 

 

平成二一年一一月一二日の日記

 

テレビで鳥居みゆきを観ていて、ネタをやる直前、足元に放り出されたぬいぐみに一瞬、カメラがフォーカスしたのにちょっと感動した。その前に今日は映画館で、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観たからかもしれない。観ながらわたしは映画とは別のことをけっこう考えていたし(これを観たから考えていたこともあるし、全然関係なく今わたしが抱えている問題について考えていたこともある)、手放しで「好き」と思えるものではなかったけれど、観たあとに誰かと感想を話し合いたいと思わなかったし、なんとも言えない気持ちでショッピング・センターの階下のフロアーを訳もなくうろついたし、外に出ると街灯が輝いて見えたし、何より「鳥居みゆきのぬいぐるみ」を今このようにして見ることができたのだから観てよかった。一四年前に観た旧作とおなじ構造の話と場面(画)が異なる物語によって語り直されているこの『破』は、聖書でいえば、旧作とは別の「福音書」を読んでいるような気分になった。「わたしは今のこのままでよいはずがない」とも思った。一四歳の彼・彼女たちは、なんでこんな思いまでしてこんなことをしなければいけないの? と思ってちょっと泣いた。一人で観たので、見終わって誰かと感想を言い合わなくてよかったのでよかった。わたしはあれが好きじゃない。誰かと観に行っても、たまにそういう呼吸が合うような人もいて、そういう人とお互いあいまいな表情のまま顔を見合わせて、何にも喋らずにエレベーターやエスカレーターに乗って映画館を後にするときのあの感じ、あの時間は、この世でもっとも幸福な時間の一つだと思う。今回の劇場版のいいところは動きの面白さで、一四年前に初めて観た『エヴァ』は特別静かなテレビ版第三話「鳴らない、電話」だったから、その違いについて考えている。

 

 

わたしは皇室に対する確固とした考えというのは持ちあわせていないけれど、今ちらっとテレビで流れた、天皇の即位二〇年に際しての皇后のことばには強く心を動かされた。いわく、
「高齢化、少子化、医師不足も近年大きな問題として取り上げられており、いずれも深く案じられますが、高齢化が常に『問題』としてのみ取り扱われることは少し残念に思います。」

 

 

家に帰るとテレビばかり観ている。映画館で映画を観るのはいいけれど、いまだに映画を観ることに慣れていないと思う。いくつになっても、いい映画をみると心が浮わついてしまう。というか、身体が浮わいている感じ。それと、行動を促される感じ。でもそういう短期的な高揚=効用はすぐに去ってしまうから、そういうまやかしに惑わされてはいけない。大切なのは、「わたしは今のこのままでよいはずがない」と思った事実であり、それに自分がどう応えるかで、いい映画はわたしにそれを試している。わたしが直接知り合った男性のなかでもっとも好きな人の一人であるMさんは雑誌の編集者で、どんなに扇情的な文句を求められても、見出しやタイトルに戦争や戦場を思わせる単語を使わないと言っていた。「~最前線」とか「~の最終兵器」とか「マシンガン何々」とか。その人は若いころ、カミュの『異邦人』にあこがれて港で働いていたような人で、「異邦人」のムルソーが「太陽が眩しかったから」殺人を犯したのと同じとは思わないけれど、時々理由なき暴力衝動にかられて、いきなりケンカをしたくなると言っていた。わたしはMさんの普段のひょうひょうとした佇まいと皮パンの似合うすらっとした物腰と、『異邦人』のことと暴力衝動の話、戦争の比喩を使わない、という話がとても好きだった。エヴァが新約聖書の福音書のようなものだとすれば、かつてわたしがテレビシリーズの時そうしたように、今回の新劇場版も何度も観るのがいいのだろうけれど、今回はそうしないような気がしてならない。わたしはこの繰り返している毎日や、繰り返してきた後悔や、悲しみ、もちろん喜びも、まったく同じものとして再現できないことは知っているから(一四年前とまったく同じにみえる場面は、同じ絵を使っているのだろうか。それとも描き直したのだろうか)。

 

 

【今回のタイトルについて】

 今回のタイトル「圏外を歩くように」は、私がこの世で最も好きな散文、随筆、エッセイである画家・吉澤美香さんのこの本の書名『圏外遊歩』から借用させていただきました。2001年の本で絶版のようですが、Amazonでも中古で安く入手できるようなので、全人類が読めばいいと思います。本気で。