ソトブログ

映画と本、自然観察(あるいは40歳、2児の父の日常)

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授業参観にて。先生の有能さと、私たちにできること。

 

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過不足なく授業をドライヴする巧みさ。

 

先日の長男(小2)の授業参観にて。

 

科目は国語でした。
テーマは「はんたいのいみのことば」。対義語を学びます。
先生が模造紙のような大きめの紙に用意したイラストを黒板に貼り付けます。
人の全身が描いてあります。
頭には帽子をかぶり、洋服を着た全身像。
そう、衣服の着脱に関することばです。

 

帽子を「   」
シャツを「   」
ズボンを「   」
靴下を「   」
靴を「   」

 

これらのOnは、

帽子を「かぶる」
シャツを「着る」
ズボンを「はく」
靴下を「はく」
靴を「はく」

 

これらの(Onの対義語としての)Offは、

帽子を「ぬぐ」
シャツを「ぬぐ」
ズボンを」ぬぐ」
靴下を「ぬぐ」
靴を「ぬぐ」

 

となり、それらを回答させ、なおかつ、並んだ答えから浮かび上がることを気付かさせるのです。こうやって単純に並べてみると、offの方は全部「脱ぐ」であったり、上半身は部位やアイテムの違いで動詞が異なるのに、下半身は全て「はく」であるなど、改めて大人が見ても面白いものです。
その課題設定や素材については、教科書やマニュアルに拠っているのかもしれませんが、45分の授業のなかで、傍から見て過不足なく授業をドライヴする先生の手腕に唸らされました。

 

授業のとある一場面で感じたこと。

 

この衣服の着脱に関する語彙の前に、イントロダクション、例題として、教室へInする男の子と、教室からOutする女の子の絵が提示され、黒板には、

 

教室に「  」
教室から「  」

 

と、書いてあり、空白に入る言葉を考えさせて挙手にて発表させるのですが、初めの子が、<教室に「出る」>、と言いました。先生はそれをすぐに否定するのではなく、そのまま他の意見を求め、<教室に「入る」>、さらに<教室から「出る」>という正答を得たあと、

 

「〜さん、いいところに気がついてくれました」(ここ、大事なところなんですけど、私の記憶があいまいで先生の言い回しは違っていたかもしれません。)

 

と言って、淀みなく授業を流していきます。私は<教室に「出る」>と言った子を見ていました。自身の発言が間違いだったことがわかると顔を覆うようにして恥ずかしがっているのか、あるいは落ち込んでいるかのようなしぐさに見えましたが、先生がそこで授業の流れを止めないことで、その子の動揺も、うまくいなされていたように私には感じられました。

 

これは一例ですが、先生の、そのような場面々々のコントロールがとても巧みなのです。この場面で、大人である私などは、<教室に「出る」>であっても場合によっては間違いではないかも、とか、「に」「から」という助詞の語義ってどうなんだっけ……とか、私が先生なら、動揺する子どもに過度に気を使って場を淀ませてしまうことで余計に動揺を募らせたり、結果として授業を停滞させてしまうだろうな、などと、私はとくにロジカルで合理的な行動が苦手なこともあり、色々とよけいなことを考えてしまって、こんなふうに上手く行かないだろうと思います。

 

変えるべきことと変えるべきでないこと。

 

そして担任の先生は確か、新卒で初めて担任を持った方だと聞いています。こういう場でお世辞みたいなことを言うつもりも意味もないので掛け値なしに、「教える」という技術において有能な先生だと思いました。そしてそれはおそらく、この先生がたまたま有能だ、ということではなくて、現在の教員養成はとても質の高いものなんだろうな、という気がしました。あまり根拠はないのですが、とりあえず2年間、長男の小学校で先生方から受けた実感として。

 

他の仕事でもそうですが、教室という社会空間も、実はうまく回っているときは、あまり心配しなくても、不思議とうまくいく、という面もあるのかもしれません。クラスのなかで学校のなかで、何かイレギュラーなこと、問題が起こったときに、どのような対処が出来るのかという危機管理みたいな場面でこそ、教育者の質が問われる、ということもあるでしょう。ただそれはどんな業界でも同じことで、一筋縄ではいかないものです。

 

久しぶりに授業参観に参加して、ゆっくり1コマの授業を見させてもらいながら、こうした教育の現場が、政治の論理や経済の論理などで、無闇に振り回されないようであって欲しいな、と祈るとともに、そのために、必要な努力は、個人としてもできることはしていきたいな、と思いました。もちろん今の学校教育とか学校を取り巻く環境が完璧だとは思いません。とくにPTA絡みのこととか、「何だかなぁ」と思うこともままあります。もっと言えばそこで行動を起こさない自分に対しても。変えるべきことと変えるべきでないこと。そういうことをちゃんと意識していきたいと。

 

あ、「変えるべきこと」「変えるべきでない」は対義語ではありません。それはこの日の授業を聞いた、小学2年生にもわかることです。言語の習得についても、大人になってしまうと、母語は自然と身に付くものはだと思ってしまいますが、語彙の習得から文法まで、このような教育の賜物であることにも、改めて気づかされます。