いつも読ませていただいているブログ、「Life Style Image」における下記の記事をきっかけに、ほぼ初めて、ちゃんとフィル・コリンズを聴いています。スウェーデンのSudioというイヤホンブランドは、フィル・コリンズ1985年のヒット曲「ススーディオ」Sussudioからブランド名を引用しているそうなのです。
――“ちゃんと”というのもおかしいですが、1990年代に音楽を聴き始め、青春を送った私はいわゆる「90年代ノットデッド」世代です。今や何度かの80sブームを経て、音楽における80年代的なアプローチや80年代の音楽そのものも、巷間親しまれているところですし、私自身も愉しんで聴けるようになりましたが、90年代には「80年代的なもの」全般が、「ダサいもの」と思われていました。
流行というのは得てしてそういうもので、直近のディケイドへのアンチとして、現在の趨勢があるわけです(2017年現在はもう、それほど単純ではないかもしれませんが)。それは音楽に限らず、ファッションでも芸術でもみんなそうで。
美術家、中ザワヒデキの傑作評論。ルネサンスから20世紀美術までの美術史を、「画家本人」の語りによる列伝の形式によって「色彩論」と「形態論」の二項対立の歴史として総覧していく語り口とロジックは圧巻。
フィル・コリンズのスネアと80年代。
それでフィル・コリンズですが、ジェネシスのドラマー/ボーカリスト、ソロアーティストとして知られる英国人のミュージシャンである彼は、80年代にブレイクしたアーティストであって、90年代なかばの、オルタナティヴ・ロックやブリット・ポップと呼ばれる米英のロックを聴いていた中学/高校生だった私には、やはり「ダサい」という刷り込み、思い込みが働いていました。今から振り返れば、結局は音像の部分、それも、特徴的なスネアドラムの音、「バスン、バスン」というあの音だったのだと思うのですが、――「ゲート・リバーブ」というエフェクトだそう――今、そのような音も許容する(というか、積極的に楽しめる)耳になって改めてフィル・コリンズを聴いてみると、シンプルな楽曲の良さ、ポップソングとしての出来映えの良さが際立って感じられます。
90年代の、とくに音楽誌『ロッキング・オン』などで盛んに取り上げられていた90年代の“ブリットポップ”のバンドのなかには、ソングライティングも演奏力も未熟なバンドも多くて、当時の私はそうとは知らず自分の耳や頭で補正して、そのようなバンドであっても自分から「好きになろう」としていた気がします。
「好きになるまで」聴いていた。
このあたりの事情は、今のように配信や無料のサービスで、時空を超えた多種多様な音楽を聴ける時代には想像できないかもしれませんが、少なくとも私の世代までは、少ない小遣いのなかから、雑誌や音楽番組、口コミなどの限られた情報源で得られた未知の音楽を漁って、一聴してピンと来なくても、「好きになるまで聴く」ということをしていた。という経験は、音楽好きなら誰しも持っていると思います。
そして中高生、10代というのは理屈勝ちですから、自分の好きな今の音楽、90年代の音楽が否定したものとして80年代の音楽を捉え(音楽誌などの媒体も、音楽産業との複合体であって「今の音楽」を売りたいわけで、リスナーにもそれを誘導していたのですが)、自ずから否定していました。今思えば牧歌的ともいえる風景であって、今はもう、そのような牧歌を唄う時代ではありません。
フィル・コリンズ「ススーディオ」が、これ以上ないくらい80年代的文脈で、印象的に、強烈なインパクトで使われている映画が、私の大好きな作品のひとつ、『アメリカン・サイコ』(メアリー・ハロン監督、2000年)です。とはいえ80年代不感症だった私はその場面の強烈さは記憶していても、私自身のフィル・コリンズの「ススーディオ」という曲に対してのイメージが薄かったため、今回「ススーディオ」を収録したアルバム『No Jacket Required』を聴いてみて、改めて観返してみました。
映画『アメリカン・サイコ』――80年代バブルの狂気を一人で体現したクリスチャン・ベールの怪演が光るブラック・コメディ。
80年代後半のバブル経済のさなか。投資銀行の重役であって、いわゆるヤング・エグゼクティブの典型のような27歳の男(クリスチャン・ベール)が、夜な夜な快楽殺人を続けていく――。
映画に限らずフィクションの面白さは語り口にあって、本作もあらすじを端的にいうとこれだけの話で、描き方によってはホラーにもサスペンスにもなるし、そういう雰囲気もあるけれど、この映画の魅力はそれだけじゃない、と思います。
端的にいって、彼らの行動は、はじめからおかしくて、狂っています。主人公と同僚たちは、ろくに仕事もせずに大金を稼ぎ、各々の服装、名刺のデザイン、いきつけのレストランの格などを比較し合います。名刺の見せ合いをするシーンなどは特に印象的で、傍目には違いがわからない紙質やフォント、印刷方法の差異を見比べて、文字通り一喜一憂する彼らの姿は、観れば誰でも思うことですが、子どもが集めている玩具やカードのたぐいを見せ合いっこするのと何ら変わるところがありません。しかしこの映画においては、この優劣をめぐって殺人にまで発展します。
そのことのおかしさを、ことさら強調するようには描くわけではありませんが、殺しのたびに相手に向かってロック蘊蓄を講釈する主人公はやっぱりおかしい。曰く、『スポーツ』でセル・アウトして以降のヒューイ・ルイスが好きだとか、ジェネシスはフィル・コリンズがボーカルになってからが素晴らしいとか。
Ah, I've just got to have her, have her now
I've got to get closer but I don't know how
She makes me nervous and makes me scared
But I feel so good if I just say the word
Su-Su-Sussudio, just say the word
Oh Su-Su-Sussudio, oh
"Sussudio" Lyrics by Phil Collins
なかでも「ススーディオ」が使われる場面は強烈で、露悪的ですらあるのですが、この映画のハイライトのひとつでもあるので、これ以上の説明はしない方がいいでしょう。ここで、憧れの女の子の名前として歌われる"Sussudio"という言葉は、造語であって、フィル・コリンズが歌入れのときに適当に当てた、意味のない言葉だそうです。
微妙な差異に拘泥するなかで、殺人にのみによって、「自分は他人とは違う何者かである」ということ=「生のリアリティ」を感じる主人公の行動は徐々にエスカレートし、崩壊していきます。主人公にとっての現実を相対化して、連続殺人を含む映画内の出来事を、本当に起こったことなのか、あるいは主人公の妄想なのか、と思わせる後半の展開は賛否があるようですが、妙な後味の悪さは嫌いではない、と思いました。
30年前の話でも、20年前の映画でも、今でもこれは私たちの現実なのだ、そう感じられます。記号的な消費に終始し、人生のリアリティを失っていく主人公が、優れて80年代的なポップ・ミュージックに偏愛を注ぐさまこそがリアルですが、時代に完璧に寄り添ったはずの表層的な歌詞とハイファイなサウンドが、2017年の今には普遍的なものとしてさえ響きます。
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上記サントラ盤には「ススーディオ」未収録。
【今回の『アメリカン・サイコ』のレビューは、以前「はてなダイアリー」で書いていた下記の記事に加筆、修正したものです】://d.hatena.ne.jp/tkfms/20170607