わたしは、ダニエル・ブレイク
原題:I, Daniel Blake
製作年:2016年
監督:ケン・ローチ
あらすじ:
大工として働くダニエルは、心臓病により休職を余儀なくされる。休職手当を受けるため役所を訪れるが、複雑怪奇な制度の前で援助を受けられない。そんななか、役所の手続きでシングルマザーのケイティと彼女の子どもたちと知り合い、絆を深めていくが、厳しい現実はさらに彼らを追い込んで行くのだった。
悪夢のような現代社会の不条理。
「官僚機構の不条理」というと使い古された常套句ですが、ここまでひどいと笑うしかありません。
心臓発作のためにドクターストップがかかり休職中の大工、ダニエル・ブレイクは、国からの手当を受けようと役所に行きます。しかし、面談の結果、「就労が可能である」と判断されて審査が通らない。
担当官(といっても、民営化されていて委託事業者の職員)は「医療専門職」と名乗りますが、ダニエルに対し心臓病と関係のないことばかり問う。おそらく、質問事項が決まっているのでしょう。
ダニエルは仕方なく、役所の指示に従って求職手当を申請することなりますが(医者に仕事を止められているのに!)、書類の請求、提出ともにオンラインでの手続きを求められます。
役所の端末を案内されるダニエル。しかしパソコンなど触ったこともない59歳の彼には使い方がわからない。見兼ねた職員が操作を補助したところを、上司が呼び止めて、こう言います。「特別扱いの前例を作られちゃ困るんだ」と。
ケン・ローチ監督が描く市井のリアリティ。
絵に描いたようなお役所仕事。イギリス社会の現実を、常に労働者階級に代表される市井の人々の側から描いてきた、ケン・ローチによるメガホンですから、この描写には相応のリアリティがあるのでしょう。日本でも、ここまでかどうかわかりませんが、似たような状況に遭遇することもあります。
しかし彼らは意地悪をしているわけではありません。「決められたルールに従って仕事をしているだけ」ではなくて、なかには不条理性を理解しつつも、現実を容認した上で、しかしそれを半ば「内面化」してしまっている者もいるのです。
20世紀最高の小説家のひとり、カフカの『城』や『審判』を読んだことがある人なら――あるいは読んだことがなくても、“現代社会の不条理を描いた”実存主義文学、というようなイメージから――誰でも、
「カフカのような悪夢的な不条理だ。」
と思うでしょう。私もそう思いますし、本当にその通りの状況です。
まるでカフカの“K”のように。
しかしカフカの『城』の主人公、Kと同じように、ダニエル・ブレイクは空気を読みません。隣人たちを助け、自らも助けられて、苦笑いを浮かべながら、立ち向かおうとします。
『審判』や『城』において、主人公は状況に振り回されますが、その描写には奇妙なユーモアがあります。『城』などは、この状況をコントロールしているのはむしろKではないか、という気さえする瞬間があります。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』においては、公の論理に絡めとられ、ダニエルは――彼が助けたことで交流が始まり、心を交わしていくシングルマザー、ケイティと彼女のふたりの子どもたちも――徐々に窮地に陥っていきます。
しかも今作は、ケン・ローチ監督の近作、『天使の分け前』や『エリックを探して』のような、笑みさえこぼれるような、救いのある結末にはなりません。苦い。あまりにも苦いです。それなのに、スーパーヒーロー物や復讐を果たす西部劇のような、観たあとに力のみなぎる、端的にいって観客に元気をもたらすエモーションがあります。
ケン・ローチ監督が、不条理な公の論理の前で「私」であることを諦めない、ダニエル・ブレイクのような個人たちを、50年間描き続け、変わらない世界に絶望しながらも、彼らを信じているからでしょう。
わたしたちのヒーロー、カフカとその主人公、Kのように。
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