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映画レビュー『上海の伯爵夫人』――カズオ・イシグロ脚本で描く、世界史よりも広大な個人の内的世界とは?

 

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上海の伯爵夫人
原題:The White Countess
製作年:2005年
監督:ジェームズ・アイヴォリー

 

先日ノーベル文学賞の受賞が決定した日系英国人の作家、カズオ・イシグロがオリジナル脚本を担当した作品。

 

カズオ・イシグロというと私は『わたしを離さないで』の原作小説とその映画版を観たきりで、どちらもとても面白かったのですが、SF的ともいえる虚構性の高い作品世界が、私には少し「ためにする」設定のように感じられてしまったこともあって、その後他の作品を追っていませんでした。しかし『遠い山なみの光』とか『日の名残り』といった作品は、タイトルやあらすじだけ漏れ聞くと、リアリズムに立脚した上品でウェルメイドな小説、というイメージは持っていて、いつかは読もう、とは思っていたもののひとつではありました。

 

そんななか、ノーベル文学賞を受賞したということで、ご多分に漏れずその作品世界にもう一度触れてみようと思い、今回まず、『上海の伯爵夫人』を観てみました。

 

過去と自尊心に因われた人たち

 

過去の栄光を忘れられない没落ロシア貴族、というとチェーホフの戯曲のようですが、『上海の伯爵夫人』の伯爵夫人(未亡人)・ソフィアの家族たちも、過去と自尊心に囚われています。

 

ソフィア(ナターシャ・リチャードソン)はロシア革命によって夫を亡くし、娘と、夫の一族と共に上海に亡命しています。彼女はナイトクラブでホステスとして働くことで、家族を養っているのですが、彼らはソフィアに感謝するよりもむしろ、ホステスに身をやつしている彼女をふしだらな女だと蔑んでいるのです。義母や叔母たちは、品格やプライドにばかり拘泥して、そもそも働こうとさえしないのに。そのさまは現代のわたしたちからすれば滑稽ですが、取り巻く環境の変化についていけず、「これまでの自分」を否定できないがゆえに、状況のせいにしたり、身近なスケープゴートを作って不満の捌け口にする――などということは、いつの時代のどこであっても起こり得ることで、身に覚えのない人はいないのではないでしょうか。

 

ソフィア自身は現在を懸命に生き、幼い娘・カティアの未来のために尽くそうとしていますが、祖国を逃れたどり着いた1930年代の猥雑な上海の外国人租界にあって、先の見えない状況にもがいています。決して十分とはいえない収入で夜遅くまで働きながら、店では、「そんな粗末なドレスを着るな」と注意され、家に帰ってもゆっくり休むことのできるベッドさえ与えられず、他の家族が起きるまで彼女は椅子の上にかろうじて身体を横たえるだけ。そしてカティアを可愛がる叔母には、カティアの教育上良くないと、「着飾っているときにカティアに近づかないで」と忠告されます。

 

夢の店=箱庭的な理想世界

 

一方でかつて外交官としてヴェルサイユ条約の調印式にも立ち会ったという米国人、ジャクソン(レイフ・ファインズ)は、不幸な事故で妻子をなくし失明していらい、自暴自棄の生活を送っています。

 

上海で自身の理想の「夢のバー」を開くことを夢想していた彼の前に、ふとしたきっかけでソフィアが現れます。彼女こそ、彼の店の理想の「華」だと感じたジャクソンは彼女を口説き落とし、"The White Countess"(白い伯爵夫人)と名付けた彼の店で働かせることになるのですが、互いに憎からず思いながら、ジャクソンとソフィアは互いのプライベートに立ち入らず、仕事上のみの付き合いで、一線を越えようとはしません。ところでこの彼の「夢のバー」"The White Countess"の成立から繁栄過程がまさに「夢」のようで、そもそもジャクソンにとって手の届かない夢でしかなかった店の開店資金を、彼は全財産を賭けた競馬で勝つことによって手にします。

 

本作でレイフ・ファインズ以上の好演を見せたという評価も高い、真田広之演じる謎の日本人、マツダが関わるのもこの店をめぐって。一流の酒とバンド、そしてショーガール、ホステス。"The White Countess"が軌道に乗り始めた頃、夢の店を実現させるきっかけを与えたマツダと再会したジャクソンは、彼に「この店にはまだ足りないものがある」と言います。それは「政治的緊張感」だと。ジャクソンの意図を理解したマツダは、"The White Countess"に各国の要人たち、とりわけ中国国内で対立する国民党と共産党の幹部たちまでもが集まるように手配します。そんなことができるマツダという男が、只者ではないことは、有能な外交官であったジャクソンにはわかるはずです。

 

しかしそれよりも、何もかも失って現実に目を背けた彼が、彼の作り上げた箱庭的な理想世界において、現実の似姿としての秩序や混沌を求める志向こそが、この映画の特異点だと思います。

 

現実よりも広い内的世界

 

考えてみれば目の見えない彼にとって、ソフィアこそが理想の女性であるのはなぜなのか? どうして彼の馬券は当たったのか? ジャクソン自身にコントロールできるはずのない事象でさえ、必然であったように感じられます。1930年代の上海の情景、風俗を再現し、リアリズムを追求したように見える画面の底は、ジャクソンや彼に関わったソフィア、マツダの内的世界で支えられています。

 

世界史的な舞台のなかで、歴史に名を残さない個人のふるまいの後ろにある、もしかしたら現実世界よりも広い彼らにとっての「世界」を描く手つきは、優れた作家の仕事だと感じられました。カズオ・イシグロと、本作の監督ジェームズ・アイヴォリーが最初に組んだ、『日の名残り』も観たくなりました。そしてどうやら寡作らしい、カズオ・イシグロの小説も。こちらとしてもじっくり、取り組んでみたいです。

 

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【こちらも英文学史上の巨匠、グレアム・グリーン原作。映画『ことの終わり』レビュー。】